奥州市生まれ、大船渡育ちのシンガーソングライター、松本哲也さん。
音楽の才能を開花させ、そして今では「希望郷いわて文化大使」「三陸・大船渡ふるさと大使」「いわて三陸復興食堂プロデューサー」として幅広くご活躍中です。
ちょうどライブを観させていただいたフナコは、その曲と歌声に感動でウルウル…。大船渡のイベントにもたくさん出演している大船渡と親しい哲也さん。シンガーソングライターとしての魅力だけじゃないいろんな一面を持った「松本哲也」さんを取材してまいりました☆
ワイルドな髭と革ジャンがおしゃれな松本さん。
県内にお住まいの方なら松本さんの曲、みなさんも耳にしているはずですよ。そう、岩手が誇るビール醸造所「ベアレンビール」のCMで、ナレーションとCMソングをご担当されたこともあるんです!!
岩手のシンガーソングライターと言ったら、真っ先に出てくるのが松本哲也さんだと思います。でも昔は、プロになろうとはまったく思っていなかったそう。うそーー信じられなーい!!
中学を卒業して上京。
え、1人で上京して怖くなかったんですか?しかも15歳ってすごく若いじゃないですか!?
「15、6の頃で東京は楽しかったなー。」
なんとも頼もしいお言葉。
ミュージシャンになりたいという夢はあったが、なれるわけないと諦めていたそうです。でも、そんな気持ちで上京するってすごい行動力!半端ないです。
夢を持ちながらでも生活しなきゃいけないだろうし、相当大変だったんじゃないかと想像するフナコ。でもそんな感じは一切見せず、
「コック見習いをしながら、近くの橋の下で歌ってたよ(笑〜)」
とケロッとして話せる哲也さんってかっこいいなぁ♡
ワイルドな髭と革ジャンがおしゃれな松本さん。
県内にお住まいの方なら松本さんの曲、みなさんも耳にしているはずですよ。そう、岩手が誇るビール醸造所「ベアレンビール」のCMで、ナレーションとCMソングをご担当されたこともあるんです!!
岩手のシンガーソングライターと言ったら、真っ先に出てくるのが松本哲也さんだと思います。でも昔は、プロになろうとはまったく思っていなかったそう。うそーー信じられなーい!!
中学を卒業して上京。
え、1人で上京して怖くなかったんですか?しかも15歳ってすごく若いじゃないですか!?
「15、6の頃で東京は楽しかったなー。」
なんとも頼もしいお言葉。
ミュージシャンになりたいという夢はあったが、なれるわけないと諦めていたそうです。でも、そんな気持ちで上京するってすごい行動力!半端ないです。
夢を持ちながらでも生活しなきゃいけないだろうし、相当大変だったんじゃないかと想像するフナコ。でもそんな感じは一切見せず、
「コック見習いをしながら、近くの橋の下で歌ってたよ(笑〜)」
とケロッとして話せる哲也さんってかっこいいなぁ♡
深夜番組のアマチュアミュージシャンコンテストはアマチュア・インディーズ含め42・3組の中から6組まで絞られた後、生放送のラジオ番組を6組同時放送。リスナー+現地の票数で準決勝の3組まで絞られたそう。
聞いただけでもなんだかすごい審査の仕方のような…。
「計何回くらい歌ったのかな?全部違う曲で、推し曲をいつ出すか、いろいろ悩みながら歌ってました。勝ち抜いたことから、これはデビューできるんじゃないか!?って思った。」
そして、見事優勝☆これを機にデビューが決まったのです!
深夜番組のアマチュアミュージシャンコンテストはアマチュア・インディーズ含め42・3組の中から6組まで絞られた後、生放送のラジオ番組を6組同時放送。リスナー+現地の票数で準決勝の3組まで絞られたそう。
聞いただけでもなんだかすごい審査の仕方のような…。
「計何回くらい歌ったのかな?全部違う曲で、推し曲をいつ出すか、いろいろ悩みながら歌ってました。勝ち抜いたことから、これはデビューできるんじゃないか!?って思った。」
そして、見事優勝☆これを機にデビューが決まったのです!
優勝・デビューとうまくいくことばかりじゃない。
好きを仕事にすると辛くなってしまったことがあったそう。
「普通はストレス発散に歌を歌ったりカラオケしたりなのに、自分の場合はそれが出来ない。歌いたくないときだってある。辛い時に楽しそうな歌を歌わなきゃいけないとか、昔付き合った女に作った曲を別れた後に歌うとかね・・・」
作詞作曲をされているからもちろんいろんな思いが詰まった曲ばかりなのでしょうね。
スキを仕事にするって大変。自分のしたいことばかりではないのが現実。
「デビュー16年だから、ほんとはもっとうまくなっていないとなとも思うし」
でも自分の10年後を
「きっと歌を歌ってる(笑)」
と語った松本さんの笑顔は素敵でした☆
優勝・デビューとうまくいくことばかりじゃない。
好きを仕事にすると辛くなってしまったことがあったそう。
「普通はストレス発散に歌を歌ったりカラオケしたりなのに、自分の場合はそれが出来ない。歌いたくないときだってある。辛い時に楽しそうな歌を歌わなきゃいけないとか、昔付き合った女に作った曲を別れた後に歌うとかね・・・」
作詞作曲をされているからもちろんいろんな思いが詰まった曲ばかりなのでしょうね。
スキを仕事にするって大変。自分のしたいことばかりではないのが現実。
「デビュー16年だから、ほんとはもっとうまくなっていないとなとも思うし」
でも自分の10年後を
「きっと歌を歌ってる(笑)」
と語った松本さんの笑顔は素敵でした☆
プライベートでも大船渡によく来られるという哲也さん。
常に車に釣り道具を積み、海釣り・川釣り全身しっかり着込んで楽しむそう。
「東京は東京で仲間がいるけど、人が多くせわしない。こっちはみんなのほほんとしてて、落ち着く。」
そういえば今日のライブ中にサプライズでご婦人が花束持ってきてくれたましたね!
「誰だろうねー。でも、息子が帰ってきたというような気持ちで迎えてくれているならうれしいなぁ。
でもしばらくすると今度は東京が恋しくなるんだけどねー(笑)行ったり来たりするのが一番自分に合ってのかなぁ(笑)」
幼少期を大船渡で過ごした哲也さん。当時はここが嫌だったけど、ここで過ごした時間、経験したことを今でも鮮明に覚えてるそうです。
「遠足で上った今出山、こないだ急に登りたくなっていってきたんだよ~。なんかねーなんなんだろうねー。日頃市の関谷洞窟もさ、あそこにいくと落ち着くんだ。大船渡に来ると必ず寄って行くんだよねぇ。
大船渡は、松本哲也が形成されたと言ってもいい場所。だから今となっては大切な場所になってるんだよね。特に都会にいるとやっぱりふらっと帰ってきたくなっちゃうんだよなぁ。第2のふるさとだよね。」
インタビュー中も松本さんを見つけるとみんなが声をかけて来ていました。まるで、近所の子や親戚の子に声をかけるみたいに(笑)
そこがまた哲也さんにとってもたまらなくここちいのかなと思うフナコなのでありました。
東京から見る岩手、大船渡。ここにいる自分、どちらも松本さんにとって大事ってことなんですね。
全国を活躍の場にされている松本さん。歌うことはもちろん、作詞作曲もされています。
冒頭でもご紹介させていただきましたが「希望郷いわて文化大使」「三陸・大船渡ふるさと大使」「いわて三陸復興食堂プロデューサー」でもある哲也さんは、岩手の食材を食べてもらうというイベントを各地でされており、岩手の魅力をもっと広げていけたらと今後を語ってくださいました。
Q1.もしも大船渡で好きな所に住んでいい!と言われたらどこを選びますか?
『キャッセン(笑)』
Q2.大船渡を知らない人に大船渡を「一言で」説明するなら?またその理由は?
『岩手の湘南』
Q3.大船渡でしか味わえないもしくは体験できないことは?
『椿館、リアス式海岸、港の景観、碁石海岸、海』
Q4.10年後の大船渡とご自身の理想は?
『自分は歌を歌っているんでしょうね』
Q5.これからやってみたい・チャレンジしてみたいこと・目標は?
『東京埼玉軽井沢宇都宮で、岩手の食材を直送してもらって、日本酒と海産物をみんなに食べてもらうというイベントをかれこれ30回くらいやっているが、それをもっとひろげたい。
自分のふるさとを自慢したい。』