水上助三郎像

「つくり育てる漁業」の先駆者

みなさん「水上助三郎(みずかみすけさぶろう)」という方はご存知ですか?
大船渡市三陸町吉浜出身の水上助三郎はオットセイ王と呼ばれ「つくり育てる漁業」の先駆者として、漁業の発展に貢献しました。ん?オットセイ王とは…??
知ってる方も、知らない方にも、後世像も建てられた「水上助三郎」についてご紹介いたします。

水上助三郎さんは「オットセイ王」と呼ばれるようになるほど、オットセイ漁で成功を納めました。
クジラやイルカ漁は聞いたことはありますが、昔はオットセイも水揚げされていたんですね…。
また吉浜湾のアワビ乱獲防止にも尽力し、今では高級食材として有名になった「吉浜(キッピン)アワビ」となるアワビの養殖、サケ・マスの延縄漁業の発明、缶詰工場の経営、松島湾では牡蠣養殖も!「つくり育てる漁業」の先駆者として地元に漁業の基礎を築きました。
水上助三郎さんの凄い所は漁業だけではありません!なんと小笠原島から2頭の短角牛を歩いて連れてきて、地元で40頭まで増やし、吉浜の名物としたそうです。残念ながら今は牛はおりませんが、その牛たちが現在の、岩手の短角牛の始まりだそうです(諸説あり)

水上助三郎さんは「オットセイ王」と呼ばれるようになるほど、オットセイ漁で成功を納めました。
クジラやイルカ漁は聞いたことはありますが、昔はオットセイも水揚げされていたんですね…。
また吉浜湾のアワビ乱獲防止にも尽力し、今では高級食材として有名になった「吉浜(キッピン)アワビ」となるアワビの養殖、サケ・マスの延縄漁業の発明、缶詰工場の経営、松島湾では牡蠣養殖も!「つくり育てる漁業」の先駆者として地元に漁業の基礎を築きました。
水上助三郎さんの凄い所は漁業だけではありません!なんと小笠原島から2頭の短角牛を歩いて連れてきて、地元で40頭まで増やし、吉浜の名物としたそうです。残念ながら今は牛はおりませんが、その牛たちが現在の、岩手の短角牛の始まりだそうです(諸説あり)

飢饉・冷害などの際は、食糧援助や多額の寄付を地元だけでなく、北海道や宮城・福島など県をを超えて援助されたそうです。
また、吉浜小学校や末崎小学校の建設、盛小学校の増設などに尽力し、学生への奨学金の仕送りなど学業への活動にも尽力されました。

失敗も多く、苦難を乗り越えながら、地元へ多大な功績を残した「水上助三郎」さん。
現在は吉浜小学校の跡地に、郷土の偉人として銅像が建立されており、また水上短角牛の牧場跡など縁ある場所が残されています。
三陸町の歴史を知る上で欠かせない方です。三陸町においでの際はぜひ助三郎さんの軌跡をたどって三陸町の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

水上助三郎像の基本情報

2018年9月 更新

住所三陸町吉浜字扇洞
駐車場三陸鉄道「吉浜駅」から徒歩25分程
PR大船渡市三陸町吉浜出身の水上助三郎はオットセイ王と呼ばれ「作り育てる漁業」の先駆者として、漁業の発展に貢献しました。

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